かあいがもん「お父さんの日記」

早いもので長男は29歳、次男は21歳になりました。

監督さんからの助言が深かった

次男は小学生の時に映画のお仕事をさせてもらっている。

 
その映画の撮影が終わった時、監督さんから言われた事があった。
 
「お父さん、彼の感性は俳優としてとても良いものを持ってると思います、もしこれから彼が俳優さんを目指すのなら、現場に行った時など無理矢理挨拶をさせる様な事はさせないで欲しい、挨拶したい時もあればそうでない時もある、その気持ちを無視して無理にいい子にさせてしまうと彼の持ってる持ってる良さが消えてしまうと思います、は例え態度は悪くてもセリフを覚えて仕事さえちゃんとしてくれたら、私は良いと思ってます」
 
その時は監督に言ってもらった事の意味が理解出来なかった。
 
いやいや、幾ら演技が出来ても素晴らしい素質を持っていても、きちんと挨拶や礼儀など出来ないと俳優の仕事は続けるのは困難でしょう。と。
 
 
しかしよくよく考えると、自分が小さい頃に所属していた劇団では挨拶や礼儀などを徹底的に注意されていて、その当時に演技が上手で、きちんと挨拶や礼儀をしていた子は沢山いたが今でもお芝居の仕事を続けてる人はほぼいない。
 
何故だろう、あれだけキチンとした子役だったのに。
 
もしかしたらそれは、わたくしの見た範疇だけの話かもしれないし、お芝居の仕事は安定が無いから辞めてしまったのかもしれないけど。
 
 
ただ、親に言われて挨拶をする、親に言われて感謝の言葉を述べる、親に言われて謝るなど、誰かに言われてやらされている挨拶や礼儀は本人の意思とは裏腹な事が多い気がする。
 
 
 
これには心が伴ってはいないのではなかろうか。
 
 
間違いなく挨拶や礼儀は大切だと思うが、それよりもそれをする心大切であって、決まりきった形だけのモノは、言われても、やって貰っても嬉しい事はほぼ無い。 
 
大人でも、口先では挨拶や感謝を述べるのに、人の見ていない所で悪態を吐く人は何処と無く信頼出来ない、逆に挨拶も態度が悪くても慕われてたりなんだか憎めない人も稀にいたりするし。 
 
お店などでも気持ちの無いマニュアル通りの接客の感謝の言葉に自分は違和感を感じる時もある。
 
挨拶や礼儀はそこに心が伴っていなければただの形なのだろう。
 
 
 
つまりのところ監督は「挨拶や礼儀も大事だが、色んな役を演じるにあたり、本当の自分の気持ちはもっと大事だよ、普段から形だけの事をしていたら演技も心がない形だけのモノになってしまう、本当に俳優がやりたい仕事なら自分で考えて挨拶も礼儀もキチンと心から出来る様になるだろうし、今は子供なんだから」と言ってくれたのではなかろうか、と。
 
自分の子供の礼儀や挨拶が出来てないと、キチンと子供のが出来ない親と思われるのが嫌で「ほら、ちゃんと挨拶しなさい、モノを貰ったらありがとうでしょ」とか言ってしまうんですがね、難しいところですわ。
 
そもそも子供に言う前に先ずは自分だよな、、、自分の礼儀や挨拶も人から見たら出来てるか怪しいし、、、、あれ、、、自分は誰から礼儀を学んだんだろう、、、記憶にないな。
 
 
と、そんな事を考えていましたら、隣でパソコンゲームをしている次男
 
「父ちゃん、俺、腹へった、今日は肉が食いてぇ気分なんだ、晩飯は肉にしてくれよ肉ぅ
 
と言い放って来ました。
 
それがまるで使いっパシリに、ぁあ今日の昼メシ、焼きそばパンが食いてぇなぁ、と言ってる様な言い方だったので
 
「ぁんだと、コラ、父さんはオメェの家政婦さんじゃねぇのよ、今から学校の勉強を完全放棄しようとしてるゲーム大好き引きニート予備軍が飯の事で偉そうな事言ってんじゃねぇぞ、父ちゃんは今日はさっぱりしたものが食いてぇんだよ、食いたいモノがあるなら中学生なんだから自分でスーパーに行って買ってこいや」
 
と、眉間にシワを寄せてわたくしが言いましたら
 
「うーん、わかったよぅ、晩御飯は何でもいいよぅ、父ちゃんの好きなモノで、父ちゃんがいつも作ってくれる御飯は何でも美味しいから
 
と、予期もしない嬉しい言葉がが返ってきました。わたくしのツボを心得てるというか何というか、考えてるのか考えてないのか、次男は本当にわたくしの扱いが上手い。
 
あまりの嬉しさにわたくしはチャッチャッと買い物に行く準備をして
 
「スーパーで、、、、、買ってくる、、、」
 
と、言ってしまいました。
 
これに対して次男満面の笑みで「ありがとう」と、言ってくれのですが、これがまた破壊力抜群なんですわ。
 
最近反抗期なのか普段から次男は態度は良い方ではないし悪態ばかりついているのに、こういう時の次男の言葉は、何でもしてあげたくなってしまう言い方なんですよねぇ。
 
 
ま、親バカかもしれませんがね。
 
必要になったら自分で礼儀なども学ぶようになる事を祈りましょう。
 
終わり。