かあいがもん「お父さんの日記」

早いもので長男は29歳、次男は21歳になりました。

今日という今日は、親としての本音を語ろうと思う。

「子育て」と言う言葉と「育児」って言葉を自分で使うのはちょっと苦手です。

何故なんだろぅか理由を、考えてみました。

「子育て」は親が子供を育てる事、と言うのが辞書にも書いてありますから、子育ての意味を言うのであればこの考え方が普通なんだと思います。

もちろん人によっては子育ては勉強という方もいらっしゃいますし、子育ては自分の子供時代をやり直す事、という方などなど深い沢山の考えが色々あると思うのですが、どうも自分の中では子供を「育てている」って言い方というか考え方に違和感を持ってしまうのです。


あくまで自分の価値観ですが、子供を育てるってなんか上から目線じゃね?自分の力で子供を育てられると思ってるなら思い上がりなんじゃね?親が出来るのは子供が育つのを見守るぐらいじゃね?と、思ってしまうのです。

例えば、植物を育てるとか使いますけど、植物は太陽だったり雨だったり自然の力で育ってるわけで、が陽の当たる場所に置いたり、水を植物に運んだりする事は出来ても、人が育ててるって言うのは何だか違和感を感じるし、それと同じ様に子供も自然に育つ訳で、ご飯だったり環境だったりを誰かが何とかする事が出来るだけで、人は、育つのを妨害は出来ても育てるのは無理なんじゃないかなと、せめて育って行くのをサポートするとかの感覚の方が、しっくりくるのではなかろうかと思ってしまうのです。

ご飯を与えたり、環境を作るの事が育ててるっ言うんなら、まぁそれはそれでその人の「育てる」の価値観なんでしょうけどね。

ちなみに会社などで部下を「育てる」っていうのは、利害が発生しますのでまた別の話かと思うのですが。

で、親が何ができるかって「愛情」っていう目に見えないモノが何なのかを日々悶々と考えながら見守るぐらいだろうなぁ、と。

この様に考えてしまうので「子育てをしている」とか「育児をしている」と言うのが苦手なんでしょうねぇ。

更に言うと、自分は望んで子供を授かっている訳ですから、敢えて「子供を育てる」使う場合「育てさせてもらっている」と言う感覚の方が自分にはしっくりくるんですよねぇ、しかし、これを会話として使うと

「あ、今、子供育てさせてもらってるから忙しいんだよね」

「え?誰の子?」

って事になりますから、ここは難しいところです。

なので、ややこしく考えてしまうため「子育て」とか「育児」とか使わないようになったんですねぇ。

はい、大丈夫っす、全然、共感とか求めて無いっスから。

おわり。

追伸、イクメンと言う言葉は死ぬほどキライです。
自分に言われたら2時間ドラマばりの殺意を覚えます。