かあいがもん「お父さんの日記」

早いもので長男は29歳、次男は21歳になりました。

続き

前回からの続きと言う事で、書こうと思ったら面倒くさ、、いや、少し気持ちに余裕が無くなったので書くのを辞めていたらもう五月も終わり六月。

早いもんですねぇ。

わたくしは三十九歳になりました。

誕生日の日は撮影でわたくしはフルボッコの後に殺されまして、殺されたシーンが終わってスタッフや役者さん方にお祝いして頂くという不思議な三十九歳の迎え方で生まれ変わった気持ちでございます。

で、前回の続きで昔、ラーメン屋さんがノリに乗って上手く行ったと思ったらある日から色んなとんでもない出来事が起きたと言う話だった、、、まぁ、あくまで自分にとってのとんでもない話

まず一つ目の出来事は、地方のフードコートに出していた店舗で厨房のオーブンから小さなボヤを出してしまい、ビルのスプリンクラーが作動して、台風が来たんかい?と言うぐらいお店が水浸しになり、周りの飲食店にも多大な被害を出してしまいました。

ちなみにその時、わたくしは「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出演中。

出演が終わってから、その笑えないショッキングなテレフォンが店長からかかって来たんですねぇ。

ごきげんよう」なぞ見ている場合じゃありません。ソッコーで飛行機に乗り、店に行き、周りの店舗に謝罪をして回り、被害補償の話し合いをして、なんとか事態は収拾しましたが、大きなビルでしたので大変な騒ぎで地元のニュースになるのではと一時はささやかれました。

怪我人がいなかったのが本当に救いでした。

まぁ、万が一怪我人でもでたら木っ端微塵に芸能人生が終わる所でしたけど。

ちなみにボヤの原因はオーブンの故障だったらしいのですが、、色々あって真相は闇の中へ、、、。

ぁあ、水浸しのラーメン屋、思い出しただけでも恐ろしい。

とにかく、そのビルのスプリンクラーのボヤの感知は恐ろしいぐらい抜群だと言う事がよくわかりました。

次の出来事は、ある日、所属していた事務所の社長から内容証明がわたくしの家に送られて来ました。

内容は要約すると「事務所的にはラーメン屋をやる事は許可したがラーメン屋の名前をお前の名前にしてお前の写真を使う事は許可してねぇから使用料◯千万円よこせ、さもなけれは訴えるぞ」と、言う感じの物でした。

おいおい、そういう事はお店が繁盛する前に言っておくれよ、どんな計算したら◯千万になるんだよ、ラーメンをやる事にノリノリになったのは社長さんですやん、と思いながら社長と話をしましたが、話し合いは一年間ほど平行線

弁護士を立てたり、少しの期間仕事をお休みしたり、二人ともボロボロになるぐらい迄にやり合いましたが、最後は痛み分けみたいな感じで終了。

で、その出来事から、争いからは何も生まれない、むしろマイナスになる事を身に沁みて学ぶ事ができました。

今でもたまにその元社長とお茶をすると「俺が折れてやったんだよ」と始まり、わたくしも「いやいや、わたくしも結構大変だったんですからぁ」と、再び平行線の話しを笑いながら二時間ほどするのですが、、、なんだか今でも腐れ縁みたいな関係。

あー、まだまだあるなぁ。

細かいこと迄書いたらとんでもない長さになるから、更にディテールを割愛して書くと、お店の食券の券売機から毎日お金を自分の懐に入れてしまう奴がいたり、従業員の母親が「お宅の店は労働基準を守ってねぇから労働基準局連れて来てやる」と、怒鳴り込んで来たり、アホみたいにデカイ金額の横領があったり、怖い人が出て来たり、ある日自宅に知らないボウズの強面の人が来て知らない場所にワゴン車で連れて行かれたり(あ、これはラーメン屋辞めてからだったかな)もう、これでもかっ、と言うぐらい色んな事が起こりました。

なんですかねぇ、恐らく、わたくしに人としてのが無かったんでしょうねぇ。

宝クジで何億とか当たると幸せになるどころか、不幸になってしまう人が多いと何かで聞いたことがありますが、それに近い物だったのかなぁ、と思ったりします。

器が小さいと、いきなり大きな物が入ると壊れてしまう、みたいな。

まぁ、残念ながらわたくしは不幸とは微塵も感じませんでしたがね。

不思議なもので役者を続けていると、どんなおかしな出来事に遭遇してもお芝居の糧になってしまうと思い込む事ができるんですかねぇ。

皆が皆そう思う訳では無いとは思いますがね、少なくともわたくしはとんでもない出来事があればあるほどドキドキと同時にワクワクしながら「ヤベぇ、これを乗り越えたら、俺、また人としてビッグなっちまうんじゃねぇの」と、思ってしまうのです。

もちろん大きくなったかどうかは人が決める事なんですがね。

まぁ、こんな経験をいつか息子達に話せたらいいなぁ、と思ったりしてます。

息子達にはこのような出来事を知らないだろうし、ラーメン屋さんをやっていた時は「将来、ラーメン屋さんやりたいなぁ」と彼らは言ってましたからねぇ。

久しぶりの割にどーでもよい話でした。